選択肢を捨てること 

祖母からはたくさん勉強をして安定した職業に就きなさいとよく言われていた。

その時代ではその方法が勝ちパターンだったから、そう言ってしまうのは至極当然のこと。

でも勉強することが得意でなかったし、勉強する意味や楽しさが見出せなかったので祖母の望むような人生を送ることはできなかった。

だからと言ってその当時はまだ情報も少なく、生き方の選択肢もそれほど多くはなかったので、進路に迷うことはしなかったように思う。

比較的若いうちに料理の道でやっていくことを決断した。

それからというものの、もっと他の職業の方が向いているのでは、と何度も何度も自問自答しながら今に至っている。

時代は変わり、情報に溢れ、選択肢に溢れ、ちょうど子供たちが社会に出ようとしているさなかで、自分の時と比べると生き方を決断することが難しいだろうなと想像する。

安定神話は崩れていて、正解のないルールの中で、生き抜いていかないといけない時代。

好きなことを仕事に、なんて煽られるけど、自分の好きを見つけるには行動と経験の先にしかないから、いくら考えてもわからないのが一般的な答えだと思う。

時代を先読みする限りでは、もう誰も守ってくれないので自分で積極的に動いて学んで個人のスキルやアイデンティティを育てていくことが重要になってくる気がする。

自分が若い頃に比べると、より強さや逞しさが問われているから大変そうだ。

飲食店でもメニューが多いと迷うように、なんでも選択肢が多いと迷ってしまう。

人は選択をすることにエネルギーをとても使う。

できれば選択肢は少ない方がいいので、情報を遮断する技術もこれから必要になってくるだろう。

何をしないか、何を諦めるか、人は欲張りな生きもの、意識をして捨てていかないといけない。

決断とは選択肢の中から選択するのではなくて、選択肢を捨てた先にある最後に残ったもの。

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