それしかできないからなんでもできるへ

誰しもに時代との相性が少なからずあると思っていて、それは個人が持っている能力や性質とのマッチングで人生の充実度が変わると言っても過言ではない。

国や地域や文化によっても何が適切かは変わってくる。

ちょっと前の時代でいえば忖度力やコミュ力、協調性や適応力などの能力が備わっている人の方が有利に生きれているような気がする。

一つのことを極め長く続けていることも美徳とされている。

やり遂げること、添い遂げること、仕事人生も結婚人生も何か一つを極めていれば他者から称賛され、それが幸福だと位置づけされていたように思う。

そんな一方通行な幸福論がここへきて少しづつ崩れつつあるのはおそらく気のせいではない。

インターネットがもたらした情報革命の影響はこれからもっと社会の在り方を変えていくと予想される。

今でさえ大金持ちの若者が増えているのは、ネットでチャンスが増えているからだし、それを掴む能力が備わっていたということでもある。

ITリテラシーがあることや陽キャであることは今の時代と相性のいい能力で、反対にアナログ人間にとっては不利にはたらいてしまう。

だからといってどちらが正解で幸福かという問題ではない。

時代との相性は少なからず作用するもの。

その意味において環境への適応力は汎用性の高い普遍的な能力かもしれない。

これだけ多様化した現代において、以前なら活躍できた一つのことを極めるという裏を返せばそれしかできない能力は今後リスクが高くなる。

ということをコロナ禍を経験してひしひしと感じた。

一つのことに執着をせずできることを増やしておく。

それは自己矛盾さえ孕んでしまうけど、うまく今持ってる能力を抽象化して転用すれば他の仕事にも応用ができるのではないか。

住む場所も多拠点化しているのだから、複数の仕事を同時に行うことも時代のスタンダードになっておかしくはない。

対人関係も異性関係もきっとそのような流れになっていくだろう。

それしかできないは思い込みや執着によって作られた考え方でもあるので、柔軟にときほぐすとできることが増えそうな気もする。

一つ極めたことを軸におきつつ、そこから何か他にできることを考えていく。

豊かな時代はある意味で楽をさせてくれない。

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