自分の足で歩く

朝は比較的満員電車に乗っている。

立っていてもポジショニングさえしっかり見極めれば意外と押し潰されることはない。

基本読書をしているけど、人間観察が好きなのでついつい周りが気になってしまうことも。

ほとんどの人がスマホに夢中だけど本を読んでいる人を見つけるとなぜか少しうれしくなる。

ニッチになればなるほど共感度が高くなるなあなんて思ったり。

今はワイヤレスイヤホンをしている人もたいがい多い。

大胆な寝顔をしておやすみな人もちらほら。

スマホを見ている人たちは、意外と自分の画面を他人に見られることも臆せずに主にSNS、動画、メール、記事を堂々と見ている。

恥ずかしくないないのだろうか、と疑問に感じたり。

よく日本の満員電車は、みんな死んでいるような顔をしていると揶揄されたりするけど、実感はそうでもない。

みんな各々に自分の好きな時間を過ごしているように思う。

でも、なんとなく間に合わせのような、ただ隙間を埋めるような時間の過ごし方をしている。

別に急いでしなくてもいけど手持ち無沙汰なので何かしないと落ち着かないから仕方なくスマホを見ているような感じ。

特におなかは空いてないけどお菓子を食べるように。

特に予定はないけどスケジュールを埋めるように。

人は暇、空虚、何もない、何もしないことに意外と耐えられない。

そんなニーズに応えるためにスマホは最適な商品だ。

たしかに人は暇すぎるとネガティブになりやすい側面を持っている。

何か情報をインプットするなり、何か動いている方が発見があるし、生きている感じがする。

それも過剰になりすぎるとおすすめショート動画に没入して考える力が奪われてしまう。

実際に朝の満員電車でも恥ずかしげもなくおすすめショート動画を見ている人が多く見受けられる。

忙しすぎてもいけないし、暇すぎてもよくない。

その塩梅を自分でコントロールするには確固たる理性が必要だけど、これもまたエネルギー負荷が高い。

結局、人がそれぞれに何を人生の喜びとして、何を幸せと感じるかに帰結するのだろうけど、企業やメディアに支配されすぎるのはどうかと思う。

ただ、どこまでも人は誰かの影響を受け、何かの物語の中でしか存在できないので、まっさらな状態になることはむずかしいけれど、社会の構造を理解して歴史を俯瞰して見ることができたなら、それを試みることを、限りなく自分自身で選択した人生を歩むことができるんじゃないだろうか。

満員電車を降りてそんなことを考えてみた。

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