まさに家を出ようとしてた時だった。
轟音、大きな揺れ、砂ぼこり、地面と空間のうねり。
5時46分。
その日は、修学旅行に行く日だったから、いつもより早起き。
生で体感した阪神淡路大震災。
街じゅうがパニックで、幸い周りの人には大きな被害はなく、
自分もパニックだったのか、公衆電話に財布を置き忘れた恥ずかしい思い出がある。
3月11日。
東日本大震災。
遠くの出来事だったけど同じ国として、不甲斐なくも何の役にも立てなかった。
何かしたくても適材適所で、できることが限られてるから
想う気持ちの着地点がなかったりする。
実際、お金が一番、被災した人の力のなれる手段のような気がする。
当時、不意にカーラジオからドリカムの「何度でも」が流れてきた時に、
津波の中で大切な人の名前を叫び呼んだ声と重なってしまい、涙が溢れた。
今でも、この歌を聴くと東日本大震災を思い出す。
震災だけではなく、自然災害の多いこの国で、
たくさんの犠牲者が残してくれたもの。
それは同じことを繰り返さないための教訓や備えや意識だと思う。
今の私たちはその犠牲によって生かされてるとも言える。
人間は忘れがちな生きもの。
何度でも、思い出し反芻し行動しないといけない。