大人になるということ

そういえば今年の初めに広島を訪れていた。
小学生の修学旅行で行って以来だから、
相当の月日が経っていて、その期間は人を
大人にさせるのに、じゅうぶんな時間だった。
小学生なりに感じたことはきっとあって、
心の奥底にしまっていたのかどうかはわからないけど、
今年訪れた際には、街に不思議と温かさを感じたし、
平和記念資料館では、そのあまりにも無残な事実を
目の当たりにして、涙が自然と溢れてきた。
外国人の来場者がとても多くて、祈るように、願うように
悲しい表情で観ていたことが、とても印象的だった。
75年前。
人に命を簡単に奪ってしまうような
時代の価値観だったとはいえ、無差別に突然に
あのような惨劇が起こってしまう背景は、
人道的にも許すまじき行為だ。
所詮、人が作ったにすぎない国境で人を分け、
宗教で分け、肌の色で分け、互いに争いあっても
怒りや悲しみや憎しみしか生まれないのに。
食物連鎖における命の循環で、
人の命が何かの役に立ってるならまだしも。。
今という時代は、その頃に比べると
はるかに平和で豊かで戦争の実感は微塵もないけれど、
まだまだ語り継がれる範囲で、
こうして悲しみを共有することができるけど、
人はよくも悪くも忘れていくことに慣れていく生きもの。
次の世代、もっと先の世代になると
理解することすらむずかしくなっていくんだろうな。
どこか遠くで目で見て耳で聞くよりも、
現地でしか感じれなかった、あの感覚は忘れがたい体験。
そのことがわかるような大人になれてよかった。

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