写真が上手だと周りからよく言われるけど、
とくに専門的に勉強したわけではない。
光の強弱とか、揃えるとか、全体の構図とか
基礎的なことはなんとなくわかっているつもり。
いろんな撮り方に挑戦してるわけでもないから、
ハズレが少ないということだけかもしれない。
ありのまま自然な状態で写したいとは願っている。
普段そこにないものを、写真を撮る時だけ、
見栄えのために飾ったりはしたくない。
だってそれは嘘をついてることになるから。
不自然や違和感が生まれてしまう。
今は加工技術も進化しているので、本来見えてるものが
本当なのか嘘なのか、たまにわからなかくなる。
宇宙の歴史から見れば、写真で切り取った風景は、
ほんの僅かな刹那で、二度と返ってこない時間。
そこに写る風景は、唯一無二のとても貴重なもの。
昔は気軽にシャッターを押せなかったし、
写真が出来上がるまでの時間も楽しみだった。
写真一枚のありがたみが今とはぜんぜん違う。
便利さが増すことによって、量産が可能となり、
モノや体験の価値は次第に下がっていってしまう。
料理もそれと似ている。
昔は、食べるものも食べる場所も少なかったから、
小さい頃の外食はとても楽しみなものだったし、
その体験の記憶は未だに強く残っている。
今は、いろんなものが溢れすぎていて、
ひとつひとつの体験価値は下がり、記憶にも残らないほど
味気ないものになってしまっている。
写真にしか残せない風景があるように、
食べることもまた、本来備わっているはずの、
ありのままの姿を違う角度から再確認できたなら、
まだまだ残せる風景があるかもしない。