生きることや死ぬことに意味を見出そうとするのは、
当然人間だけができること。
勝手に言葉を作って、勝手に言葉に当てはめて、
勝手に言葉にしばられて、必死で答えを探そうとする。
他の動物からしたら、
そんなに悩んでないでもっと楽に生きればいいのに、
と思っているに違いない。
いつ死んでしまうかわからないから、
今だけを見て楽しく生きようなんて言うけれど、
死んだことがないからいまいちわからない。
でもそのシンプルなのに、行うことがむずかしいのは、
人間社会が複雑に入り組んでいるからこそ。
概念や言葉に感情を寄せることで、
心配や不安は余計に身近なものになり、
挑戦や行動を抑制させてしまう。
でも概念や言葉を作ったからこそ、
統率がとれるようになったし文明や文化を築けてきた。
生命としての死は宇宙の循環の一部に過ぎないけど、
一人の人間の死としては、生きている間に
形成されてきた周りとの関係性から成立するもの。
記憶を反芻し、慈しみや悲しみを実感できる。
そしてその機会にたくさん触れ、
得た経験が自分の中に蓄積していくことで、
成長を感じ、さらによりよく生きれるようになる。
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祖母が亡くなった。
無償の愛は本当に尊い。
きっと何かを教えてくれている。
まだうまく言語化はできないけど、
意思が受け継がれていくということは、
今に始まったことではなく、
長い長い時間をかけて培ってきた人類の歴史の賜物。
その一番先に存在できていることが有難い。
少なくても誰かは誰かに意識していないところで、
何かしらの影響は与えている。
自分がいなくなった後、誰に何を残せるのだろう。
そろそろ考え始めてもいいかもしれない。
死に直面したことで生まれた感情を大切にしよう。
ひとまず人間に生まれてよかったと思えた。