手から生まれ残るもの

手に職だとか、手仕事などで表現されるような、

ジャンル問わず人間の手から生まれるものはいずれも尊い。

うまく科学で説明できることではないけど、

直に触れたり、そこに温度があったり、

目に見えない感情の領域は存在していると思います。

相手が見えることで作品を通して伝わるもの。

それが顕著に現れるのが、おにぎりではないでしょうか。

手ですら握ってないコンビニのおにぎりは、

顔が見える人のそれとは比にならないくらい味が違う。

でも手作りがいいものだとわかってはいても、

コストや時間が非効率であることは否めない。

世界の人口増加に伴い、効率化を図らないと

間に合わない状況であるのもまた現実です。

食に関しては恐らく限りない倫理的な範囲で、

大量生産が行われていて、決して自然ではない

科学的な行為の関与は、完全に消費者まで

その過程やプロセスの情報が届いてるとは言えない。

危険ではないけど、決して安全だとも言い切れない。

食べるという行為は、生命と健康に関わることなので、

もっと優先度の高い関心があってもいいのではと考えます。

その観点から見ても、手から生まれるものというのは、

顔が見え、プロセスが見え、生産者までクリアに見える。

食に限らず工芸品や芸術品の分野でも、

手仕事に携わっている人はたくさんいるけれど、

身体をつくる食べものは一番身近に感じれる手仕事だ。

食べものは食べたら消えて無くなってしまうものだけど、

作り手の思いと一緒に、自分の体の一部となってることは、

間違いなくて、絶え間なく循環している。

食べものや食べた時の体験は、記憶や思い出のように

ある意味、死ぬまでなくならないものでもある。

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