みんな本当は人間

個人でやってる小さいお店は、正直使い勝手が悪い。

急に売り切れになっていたり、不定期な休みであったり、

大勢で行けないし、小さい子供を連れていくのも憚られる。

不便な場所にあったりするし、情報が少なかったり、

相場より値段が高い事もある。

でもみんな好き好んででそうしてるのではないはず。

お客様にいいサービスを提供したいけど、

限られた資源の中、できる範囲でよろこんでもらおうと、

それぞれがそれぞれの思いを大切にして、

何が最適解なのかを考えながら、時に苦渋な局面も

含めて、迫り来る決断を取捨選択している。

不都合や不便を感じてしまうのは、

便利で豊かな日常に慣れてしまったから、とも言える。

資本主義社会ではやっぱりお金で解決できることが多く、

便利さも快適さも資本力があるところには敵わない。

心地よい方に流れていくのは習性的にも仕方のないこと。

同時に均質化されたものはどこか味気なくもある。

人間が人間らしくいれるということは、

感情の差異をコントロールできることと、

相手に対して想像力を働かせることができること。

感情の差異とは、何かがんばった後のご褒美を

楽しめるとか、苦しみからの解放とか、

普段は質素な食事でも記念日の食事に心が踊るとか、

誰しもに他と比べられない自分だけの絶対的な幸せが

あって、それを自ら作ることができるということ。

想像力とは、配慮とか気配りとか思いやりとか、

他者と感謝の気持ちを交換できるということ。

小さなお店は、それら人間の愛くるしさみたいなものを、

叶えてくれる場所なのではないかと思うわけです。

制約の中で必死にがんばっている姿、

不都合だからこそ味わえる感情、唯一無二の個性。

どうせ人間として生きてるなら、その感覚は忘れたくない。

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