言葉はデザイン

自分の思っていることがうまく話せなかったり、うまく書けなかったりする時、それは内側の感情が言葉を探しているということ。

脳の中はどこまでも無限大の広がりがあって、夢の世界も、妄想の世界も、すぐに忘れてしまいそうな出来事も、自分の外側に出ることによってはじめて形となって認識できる。

あらゆる身体の代謝も内側にある時点では何も違和感がないけれど、外側に出ることで入れ替わり、また新しい循環が始まっていく。

だから言葉もそれなりに代謝をしないと想像力が乏しくなっていくような気がする。

そのためにはやっぱり目的が必要で、どんな料理を作るかが決まってないと野菜をどう切っていいかわからないように、出口を見つけておくことはとても重要なこと。

人間ならみんな等しく言語を習得している以上、表現者だと思っていて、言葉は最小単位の表現ツールになりうる。

自分の考えや意思を相手に示すことは立派な表現で、その関わり合いの中で人は社会という大きな実態のないものを無意識に動かしている。

何を言って何を言わないか、何を書いて何を書かないか、どんな言葉で伝えるかを考えることはデザインをすることと、とても似ていると思う。

自分にとってのデザインの解釈は、頭の中で考えていることの本質を簡潔にビジュアル化すること。

足しすぎず削りすぎず、ちょうどいいところで見つかった形は相手にも伝わりやすい。

自分の身体から生まれるすべての表現はデザインといっても過言ではないだろうか。

ただ何を選ぶかのセンスは訓練が必要な領域であると思う。

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