
最近はもっぱらウクライナとロシア情勢に関心があって、
その歴史的背景や人物背景を知れば知るほど、
何とも言えない気持ちになってしまう。
点だけで見ることの危うさ。
線や文脈で見ることの大切さ。
誰も悪くない、
という意見すら軽率には言えないほど、
いろんな事象が複雑に絡み合っていて、
うんうんと唸ることしかできないもどかしさよ。
まるで国そのものが生きているかのように、
それぞれに特性があり歴史や文化があって、
みんなが仲良く手を取り合う未来はほど遠い。
いろんな民族が混ざり合っていたり、
いろんな国に支配されていた経緯があったり、
日本にいたらそれらの背景は到底想像ができない。
戦場となりやすい地理的要素だってそう。
隣の県に助けを求めて断られ、
また違う隣の県民が攻めてくるような感じだろうか。
どこまでいっても誰であっても
絶対に当事者の気持ちにはなれない。
いかなる情報も人を介して発信されている以上、
バイアスはかかってしまう。
だからといって何もしないのではなく、
知ろうとする努力は大切だと思う。
ぼくたちは想像することしかできないから。
遠い国のことだけではなく、
それは身近な人にも当てはまるような気がした。
近しい相手のことを知ろうとしているか、
自分の話ばかりをしてないか。
その人が生きてきた延長線上に今があるので、
背景を知ることで言動もある程度読み取れるようになる。
その作業も立派なコミニュケーション。
自分の世界観を押し付けるのではなく、
相手との違いを認めて違いを受け入れる。
そんな簡単なことを簡単にできないのが、
大人という生きものなのだけど。