おもしろいことがしたい

高校の部活は陸上部だった。
なぜか走り高跳びがしたくなって入部したのだけれど、そのポジションは存在しなかった。
単純に用具がないという理由だと思う。
特に足が早かったわけでもないけど、個人競技だったからそのまま続けることにした。
あの時自分に選択する権利はなかったのか、個人の能力に合った競技を先生が決めていく。
有無を言わさず、ぼくの競技は400mハードルになった。
足が早かったわけでもなく、足が長かったわけでもなく、体力があったわけでもない。
選ばれた理由は、その競技をやってる人口が少ないから勝ちやすい、だった。
巧妙な戦略にもかかわらず、いい結果は残せなかった。
ふとそんなことを思い出す。

思い出が影響してるのかなんとも言えないけど、生き方としても、仕事のやり方としても、競争の激しいところより少ないところで勝負する精神が自分の中には通っている。
みんなと同じことをしても意味がないとすら思っている。
よっぽど極めたいと情熱を傾けるものが見つかってないだけかもしれないけど。
料理のジャンルにしてもそうで、例えばイタリア料理店と看板を掲げてしまったら他のお店と差別化が図りにくい。
それならイタリア料理に何かを掛け合わせて希少性を出した方が、注目されやすく認知力で優位に立てる。
どちらがいい悪いではなく、何も極めれなかった弱者なりの戦い方があるということ。
ぼくはそっちの方が組み合わせる楽しさと考える余地があるので、抽象的な表現だけどおもしろいと思える。
いまだに思うような結果は出せていないけど、おもしろくないことはぜったいにしたくない。

関連記事

  1. 思いは電波

  2. これからの履歴書

  3. 長期戦に備えて

  4. 自己満足という居場所

  5. 熱を伝えてこそ

  6. どんどん上がっていく