良心とは

いまだにうまく解釈できない「偽善」という言葉。
自分がいい人だと思われるために優しさを偽る行動。
特に日本文化の体質は、だれかのことを偽善者だと指差す傾向が強いように感じる。
自分の行動力不足を相手に投げつけるような嫉妬や妬みを孕んだニュアンスでしょうか。
ぼくはあながち偽善が悪いことだとは思わない。
なぜなら対象が何を求めているかに気づいて、真っ先に行動を起こしているから。
そこに自分の利益を先に考えてるか、後に考えてるかを周りが見極めることはとてもむずかしいことのように思う。
その判断は他者が決めることではなくて、自分の中にあるもの。
対象にとっていいことをしたのなら、それ自体が素晴らしいこと。
だから偽善という言葉があること自体ナンセンスなのだ。
と今のところ解釈している。

反対に良心について考えてみると、偽善と紙一重だなあと思う。
自分で良いと思ってとった行動が相手にとって不快なこともあるから。
お節介とかありがた迷惑という言葉があるように、相手とほどよい距離感をつかむのは人生経験が相関していそう。
これは実際に相手を傷つけた経験がないと身につかないのではないか。
無難な行動をしていては本当の優しさにたどり着けないような気がする。
良い心を身につけるためには誰かを傷つけて失敗してを繰り返した先にしかないもの。
自分が良いと思っているだけではなく、相手にとっての利益を最大限に考慮した上で行動して、それを相手によっても使い分けていく。
自己完結するのではなく、相手を知りたい、という気持ちがファーストステップで、対象者なしで良心は語れないような気がした。
良心とは、相手によって変わるもの。

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