利他に興味関心があったので少し勉強した。
当然、簡単には語れないほど奥が深いキーワードで、想像していたよりも実態がなく故意に発動させるものでないことがわかった。
相手が喜ぶだろうと思って何かをしてあげる行為が、本当に相手にとって嬉しいかというとそうは言い切れない。
プレゼントひとつとっても、そこに気持ちはあるにせよ欲しくないものだったら嬉しくない。
変に借りができてしまったり負担になることだってありうる。
さらに世界観の押し付け、迷惑とすら思われるかもしれない危険性がある。
次第に学んでわかってくるのは、見返りを求めない行為であったり、自然発生する自発的な行動であったり、自分でコントロールできるものではないということ。
だからといって何も考えないことではなくて、しっかり利他の概念を理解していることが大事だと思った。
与格という言葉をはじめて知った。反対語は主格。
たとえば”うれしい”という感情が自分の中にとどまっているというようなニュアンスで使われる。
入れものとしての自分。
料理を作っているという感覚ではなくて、食材の通り道にそっと手を添えているだけ、みたいな感じ。
やってきては去っていく、自我があるなんておこがましいとさえ言っていた。
目の前で困っている人がいたら、あれこれ考えるよりも真っ先に助けようととる行動。
自分を空っぽにする器のような状態でいることが利他的である。
現在の文脈で語られる利他はどこか恩着せがましさが漂っていて、言葉だけが一人歩きしている。
無意識下で発動するとはいえ、できることはあると思っていて、相手が求めていることを想像すること、関心を寄せること、相手を知ることは、どの本にも書いてあった共通するファーストステップだと感じた。
お店とは別のREATABLEの活動は、とても利他的な行いだと思えた。
そして計らずとも利他という読みがサイトの名前に含まれていることに驚きを隠せない。