最近スマートという言葉は、スリムや賢いという意味よりも、ハイテクというニュアンスでよく使われる。
スマートフォン、スマートウォッチ、スマートシティ、なんとなく便利で快適な装い。
スマホのない生活なんてもう考えられない。
でも、いろんなことがスマートになっていく社会が全員にとっての幸福につながるのか。
テクノロジーの恩恵を多大に受けておきながら、決してそうとも思えない。
お客さんを見ていて高齢の方でも、上手にPayPayを使っている人もいれば、お店の存在を通りおがかって知る人もいる。
支払いの時間が少し短縮されて、情報が手軽に入ったところで、それが幸福になったかと問えば一概にそうとも言えない気がする。
時代は確実にスマートに向かっているけど、ついていけない人が遅れているというレッテルを貼られることには違和感を覚える。
デジタルについていけない、というお客様にこう言った。
アナログも大事ですよ、と。
スマートな社会になることで失われるものもある。
そのひとつが物事を考えることだと思っている。
検索すればすぐにわかるという安心は、覚えようとする意識がはたらかないし、誰かに想いを馳せる時間もメールが解決してくれる。
こうして毎日考えごとを書くのはそもそも好きでやっているのもあるけど、スマートになり過ぎないためでもある。
深くあれやこれやと考えたいし、問いを立てて分析したいし、そこから生まれる発見があるとうれしくなる。
決して楽な作業ではないけど忘れてはいけないことだと思って続けている。
だからスマートな中にもアナログな時間はちゃんと作っておきたい。