もう修行はいらない

お客さまから一番よく聞かれる質問は、
「どこかで修行されたんですか?」
どう答えるのがベストなのか未だにわからなかったりする。
よくよく考えてみるとすごく曖昧な質問のような気もしてくる。
お客さまはどんな答えを求めているのだろう。
名の知れたレストランを言うと納得をするのか。
海外経験が修行というニュアンスなのか。
料理の仕事そのものに携わっている時間なのか。

修行と聞くと、脇目も振らず一心不乱に何かに打ち込んでいるイメージが浮かぶ。
料理イコール修行は、ぼくと同世代かそれ以上の世代の認識であるような気がする。
皿洗いをして、掃除をして、なかなか料理をさせてもらえない。
書いていて「ふるっ」と思ってしまった。
今の時代そんなことさせていたら若者は秒で辞めてしまいそうだ。
秘伝のレシピ、なんて言って昔はレシピそのものが重宝されていた。
つまり味が勝負を決める世界線だったということ。
時代の価値観は変わりまして、今やネットにレシピは溢れているので誰でも一定水準の美味しい料理は作れてしまう。
実際お店を始めてうまくいってる人でも、前職は料理関係以外の仕事だったというのをちらほら耳にする。
料理の技術はもう無料動画で学べるから。
味が美味しいのは大前提で、他のところでいかに差別化ができるかが勝負の分かれ目になっている。
盛り付け、見栄え、演出、空間、SNSマーケティングなど。
なのに多くの人はお店の判断基準を「美味しいか美味しくないか」という言葉で表現するのは、きっと味以外のことも全部含めてそう言っている。
美味しいの意味合いも時代によって変わってきているのだ。

修行をして得られることは調理の技術というよりも、体力や忍耐力や精神力の要素が大きいと思う。
ぼくらの世代以上の人たちは、わりと過酷な労働環境を乗り越えてきた人が多く、知ってる限りではみなさんほんとに元気で尊敬する。
だからといってそれを美徳とするのはやっぱり時代にそぐわないし、生産性を高め労働環境を改善することは最需要課題だけれど、料理を作り続けるのに体力は欠かせない。
料理の修行はもういらないけど料理を作り続ける体力はいる。
最初の質問にはいつもこう答えるようにしている。
「有名店では働いていないけど、長く料理の仕事をしています」と。
これもまた曖昧な返事だ。
そう言えばだいたい「へー」で終わるなあ。

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