第三者として

翻訳とは、違う言語を自分が理解できる言葉へ変換する時に使われる。
抽象度を上げて本質だけをみるならば、わからないことを相手にわかりやすく伝えるため、間に入ってその役割を果たすアクションや存在のことを指す。
なので第三者的な立ち位置にいる人とも言える。
この第三者のポジションはどんな仕事においても重要で欠かせない存在になっていると思う。
解説者や批評家という仕事だってそう、自らがフィルターとなりわかりやすい言葉に変換して相手に伝える。
他には建築家やデザイナーも同じで、クライアントの言語化できていない意向を実際の形に落とし込んで相手に納得してもらう。
これらの仕事の関わり方はどれも広義の意味で翻訳している。
受け手自身が理解するのはもちろん、それ以上に相手が気づいていない価値を提供できれば任務としては最上級の喜び。

その構図は飲食店にも当てはまる。
食材を作る生産者と食べる消費者の間に入って、第三者として料理を提供することは食材の美味しさを伝えるという意味の翻訳作業。
どうすれば美味しくなるかを試行錯誤する。
料理だけでなく空間やサービスも含め全体で考えて相手に届ける。
届けた先に残るのは言葉でも形でもなく、味や記憶、目に見えないものであるがゆえに価値を感じずらい側面があると思う。
儚くも切ない役割だ。

第三者としての役割は、あまりスポットライトが当たらないし気づかれにくいポジションにいる。
それでもどんな仕事においても重要な役割であることには間違いなくて、三位一体という言葉があるようにバランスを保つためには必要不可欠な存在だと思う。

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