才能があるなら

どんな分野においても才能がある人を見ると嫉妬を通り越してただただ感心してしまう。
よく誰しもに才能は備わっていて気づいてないだけ、発揮できる環境が見つかってないだけ、なんて言われるけど、才能のある人は生まれた時からすでに持っていると思う。
それは見つかるべくして見つかるし、放っておけないものだし、努力を超えたところにあるものだ。
でも有り余る才能があると周りにもてはやされ期待されて、あるいは商品化されて自分の思い通りにはいかず大変なこともたくさんあるような気がする。
できることと好きなこと、求められることとやりたいこと、自分にとっても相容れない永遠のテーマ。
どんな才能がほしいかと聞かれたら、抽象的だけど人の心を動かせるような才能がほしい。
スポーツができるとか、売上が何億のCEOとか、それらもたくさんの人の心を動かした結果かもしれないけど、もっと創造性のある感動の方が自分は好き。
料理も自分の手から生みだされたもの。
お客様に感動を与えられる余地があるから今まで続けられている、たぶん。
具体的にいうならもっと言葉の表現を自分だけのものにしたい。
語らずして語るというか、想像させる言い回しというか、思いつきもしない言葉選びというか。
それが誰かに届いて伝わるのがうれしいこと。
そんな表現に出会えた時にとても感動するから。

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