合理的な恋愛

昨日の話の感情より数字が重視されていくという傾向において、今の恋愛市場がまさに当てはまっていると思った。
若い子から年配の方まで幅広い年齢層が利用しているマッチングアプリたるもの。
数字を含むステータスなどの”情報”を先に基準として見てから選んでいる。
相手の話し方や雰囲気は実際に会って見ないと肌感覚としてわからない。
これは何もアプリだけでなく大昔から政略結婚のようにステータスのやりとりで儀式が行われてきた長い歴史がある。
だから慣習としては当たり前なことかもしれないけど愛の本質は合理的でないと思う。

大人になっていくにつれて人間関係はどうしても打算的になってしまう。
よくも悪くも歳を重ねるごとに学習していくので、自分にとっての損得や利害が基準となるのはもう仕方のないこと。
ピュア過ぎたらたぶん社会に順応していけない。
樹木希林も物事の分別がついたら結婚ができにくくなると言っている。
小学生や中学生の頃、将来が有望だからといって異性を好きになっていただろうか。
あの時のときめきのきっかけは恐らく言語化できないものであるはず。
それに好きな人の好きなところばかりが見えるわけではなくて、次第に見えてくる欠点をも許せるのが愛の不思議なところ。
意味がないこと、無駄なこと、不合理なことを受け入れる余裕はどんな人間関係においても持っておくといいかもしれない。
だからといって欠点ばかりでもダメなので結局は自分の中のバランスなんだろう。

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