感情から生まれる感動

毎日こうして文章を書いていますが、いっこうに上達してる気がしません。
というか、うまく書こうとか、わかりやすく書こうとか、役に立つ情報を届けようとかをあまり意識していません。
言い訳みたいですが、何よりも自分の頭の中が整理されるという効能をとても感じているので続けれています。
たとえ共感されなくても、どんな人がお店をしているのかわかった方がお客様にとっていいと思って続けています。
ただうまく書けるようになりたいとは常に思っていて、日々練習をしているつもりでもあります。
一般的な人より物事の理解が遅いと認識しているので、それを超えるにはもうひたすら量しかありません。
何事においても基本姿勢としては、技術やテクニックよりも感情や気持ちの方が大事、というスタンスでいます。
うまく世渡りすることがすべてではないし、生産性や効率がすべてではないし、世間から脚光を浴びることがすべてだとは到底思えません。
子供の運動会や発表会に感動するのは、上手にしていることではなくて一生懸命に取り組んでいる姿にあると思うのです。
がんばって練習をした背景が想像され、純度の高い本気さや熱量が込められて、それらが見ている人に感動を与えます。
宝塚歌劇の同じ演目を何度も観る人がいるように、ただロマンスを求めているわけではなく一生懸命なジェンヌさんを応援したいという純粋な気持ちの連鎖が、こうして長く愛され続けている大きな要因だと考えています。
けれど大人になると心の底から湧き起こる感情というのはそう簡単に作れるものではありません。
そのトリガーとなるのは、競争心、後に引けない状況、危機意識など、危うさを携えてるものだったりもするわけです。
本気の感情が発動するのは周りの環境が整うことも必要十分条件だと思います。
よって、うまく書けなくても本気の感情が込められていれば感動を生むことはできる。
菅さんの弔辞はまさにそのいい例ではないでしょうか。
(もちろん文章も素敵でした)

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