今いろんな情報が巷にはたくさん溢れている。
どれもおもしろそうだし、興味を惹くものばかり。
それらを手軽に楽しめるようになったのは本当にいい時代だなあと実感する。
ただ時間が足りないサイクルに入ってしまうのは、少し注意が必要な気もする。
情報を消費したことだけに満足するのは、本質的に意味があるのかという疑問が残ったり。
当たり前になりつつある倍速視聴の文化や、難しいことをわかりやすく説明してくれる要約系って、やっぱりどこか記憶に定着しずらいと思い始めていたり。
それは学校のテストを徹夜で一生懸命覚えて挑んだだけのような感覚に近い。
その時はいい点数を取れるかもしれないけど、すぐに忘れてしまい後には何も残らない。
人間が記憶として覚えておける量なんて平均的にたかが知れているはず。
たくさんインプットすることはもちろん大事なことだけど、度が過ぎるときっと逆効果だと思う。
自分の特性を見極めた上で、それぞれに適正な時間の使い方を見つけるのがいい。
そんな風にして、要約で知る本の内容と実際の読書で何が違うんだろうと考えてみると、体験にあるという気づきがあった。
時間をかけて、文脈を汲んだ上で本質を理解する。
大切なことがたとえひとつしかなかったとしても、そこに到達するまでの道のりを経てこそわかること。
富士山の頂上にヘリコプターで行っても、ネタにはなるけど体験としての記憶には残りずらいはず。
車の運転を座学だけではできないように、実際に体験してみないとわからないというのは何においても真理だと思っている。
そして体験にはどうしても時間をかけるという行為が伴う。
なのに現代は時間をショートカットすることが優先されている。
人間の脳もエネルギーの負荷を減らすためにショートカットを好むようにできている。
本当に大切なことはきっとそんなに多くない。
情報が溢れている時代、刺激を欲しがる人間、そんな中で情報を減らし捨てる技術が今問われているのでは。
理性と本能、どちらを優先するのが人間らしさなのでしょう。