便利な世の中、物価高とはいえサブスクひとつでエンタメがたくさん楽しめるように、日々使うツールは比較的無料で使えるものが多くある。
特にインターネットサービスは実質的に人が介在していないので、開発費を除けば複製にコストがかからず、どんどんこれからも安くなっていくだろう。
地図、カメラ、電話、検索、音楽、ゲーム、ひと昔ならお金を払って使用していたものは、今ほとんど無料の範囲でまかなえるほど。
これらはインターネット革命の恩恵でもあるけど、企業努力の恩恵でもあると思う。
テック企業の多くは広告収益がビジネスモデルとなっていて、認知を広げ利用者を増やし影響力を持つことで広告を出したい人とのバランスを作っている。
だから一般市民はいろんなツールが無料で使えている。
無料で使えるからこそ利用者も増えていく。
また戦略的にはじめに無料をうたい人を集める手法もある。
PayPayが始まった頃、キャッシュバックキャンペーンをうって利用者を増やしたように、資本主義システムのビジネスでは利用者の多さと利益は密接に関係している。
まずは人を集め、後から手数料を追加して投資金を回収する。
収益化の時間軸を遅らすには資金力がものを言う。
無料で使えるものが増えたのはいいことだけど、無料で使えることに慣れてしまうのがひとつ懸念ではある。
慣れるという行為は考える力を奪っていく。
無料で使えている仕組みがどうなっているかなんて普通考えたりしない。
テック企業のビジネス以外にも、いろんなサービスにはある意味で無料の部分が含まれているように思う。
飲食店や本屋さんには無料で入れるけど、美術館や動物園には入場料がいる。
単純にどちらの“場所”にも同じようにコストはかかっているのに。
また中で商品が買えるという差であれ、管理や人件費などの“時間”にも本来はコストがかかっている。
場所や時間、その他にも普段目に見えない部分にコストがかかっていることを忘れてしまってはいけないと思う。
便利や快適は心地いい反面、人から感謝やリスペクトの気持ちを奪っているような気がしてならない。