自由と人間関係

人が生きていく上で人間関係は避けられない。
家族に始まり、学校に社会と、どこに行っても共同体は存在していて何かしらの形で属している。
海外と日本の文化が違うように、同じ日本でも同じ地域でも、同じ職場でも、すぐ隣にいる人でも、海外と日本を比べるのと同じくらい文化の違いがあると思う。
価値観や言語の違いと言ってもいいかもしれない。
極論、全人類は同じ種族なのでかんばればみんな仲良くなれるはずだけど、時間やエネルギーのコストがかかってしまうので、当然相性のいい人と過ごす選択をしてしまう。

ひと昔前は生まれつき身分も決まっていたし、結婚も自由恋愛ではなかったし、自分の意志で人間関係を選択するのが難しかった。
ところが今は社会のセーフティネットが整い、子供が学校に行かない選択も受け入れられるようになっている。
個人の意思に自由度が広がり選択が容易になった。
いっけん理想の世界に向かっているようだけど、自由が正解だとはあまり思えない。
個人に自由という武器が与えられたはいいけれど、現代は情報が多く選択肢があまりにも多すぎる。
選択肢が多いということは迷うことにコストがかかるし、間違ってしまう確率も上がると思っている。
それに自由を手にするには責任と自主性が求められる。
多くの人が受けてきた教育は、明確な正解があって受身的な姿勢で自ら考えるように教えられていない。
その系譜とこれからの時代の不確実性はあまりにも相性が悪いという印象を抱いている。
それに受身が悪いということではないし、その中でも十分な幸せを感じることができる。
いろんなところで二極化だと言われているけれど、社会の構造上それは仕方ない部分もあって、自由(能動的)に生きる人か、守られて(受動的)生きる人かが、より分かれていくような気がする。

与えられた環境でうまくやりくりするのか、自分に合った環境を見つけに自発的に行動していくのかは、もう人それぞれでタイプの問題なのかもしれない。
一度きりの人生を、進むしかない時間を、誰と過ごすのか、誰と生きるのか。
人間関係は精神的な豊かさにも直結すると思うので、世間体やプライドを気にして無理をしてるくらいなら気の合う人と同じ時間を共有していたい。

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