料理への探究心

残りの営業日もあとわずか。

お客様からいろんな言葉をかけてもらっている。

寂しがってくれたり、惜しんでくれたり、褒めてくれたり。

自分の決意に迷いはないのだけれど、料理を通して関わる関係性は他の何かには変えがたい感慨深さがあるので、これからも考えていきたいと思う。

ひとえに一食の料理とはいえ、日々接している食事とはいえ、作ったものが身体の中に入るという点でまさに生命と密接に関わっている。

美味しいと思う気持ちも、幸せになれる気分も、具体的に言葉で表現するのはとてもむずかしい。

ただなんとなく感じるものだから。

お店のコンセプトや料理のジャンルやコスパなど、そこに至るまでの情報はもちろん鑑みないといけないけど、食べて感じる気持ちはとても直感的だと思う。

もちろん人柄や調理技術も加味されるだろうけど、本能的に結びつく記憶は純粋な美味しさに直結しているのだろうか。

味覚とはとても曖昧で主観的な感覚だからこそ、生命とのつながりを探る余地はありそうだ。

その人にしか作れない料理というのは、希少価値は高いけれど広がっていくことはない。

わざわざ足を運んでその場所でしか食べれないその時だけの料理。

なんとも刹那的なクリエイティブな作品なのに、社会で過小評価されていることにやっぱり違和感をおぼえる。

自分の料理がすごいと言っているのではなく、作品としての料理にはもっと価値がついてもいいと思うのだ。

今まではプレイヤーとして現場に立っていたので、どこまでもいっても局所的にしか物事は捉えられない。

視座を高く、視点を増やしてみたら、今まで見てきた料理はどう見えるのだろう。

人はお店の料理を通して何を表現したいのだろう。

その片鱗はわずかに現れはじめているけど、これからはもっと全体として料理を見ていきたいと思う。

たとえ現場から離れても料理への探究心には変わりない。

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