センスは記憶

非日常な体験は感性がひらく。

年末の忙しさを他所にして、いつもとは違う街へ。

人、お金、活気、エネルギー、集まるところにはいろいろ集まる。

同じ毎日の繰り返しに飽きてしまうのは欲のせいだろう。

もっと新しいことがしたい、知らないことを知りたい、もっといろんな世界が見たい、と。

裏を返せば現実から逃げていると言えるのかもしれない。

それでもいろんな世界を見ている方が記憶は豊かになる。

すぐ忘れてしまうのは表層的な部分で、その時感じたことや身体が覚えたことは無意識の記憶に刻まれると思っている、というか信じている。

旅に出て撮る写真はあくまでも断片的な映像であり確認作業であって、通底して受け取った感動のようなものはしっかりと記憶のメモリーに溜まっていく。

何を見て、何を感じるか。

細かい気づきから、その時の天気、その時聞いていた音楽、その時読んでいた本に至るまで。

思い出は多ければ多いほどきっといい。

心を動かしたことや、記憶の豊かさ、人との関わりなど、それらの総量がふとした瞬間にセンスとなって現れる。

出てくる言葉、今までにない発想、取る行動。

すぐに変化があるわけではなく、記憶の中で熟成されて違う形となって現れることもある。

忘れてしまっていること、覚えていないことも、きちんと自分の無意識は受け取ってくれている。

でもいつ形となって現れるのかわからないし、死ぬまで現れないかもしれない。

そんな曖昧さや不合理さこそが人間に奥行きをもたらせてくれるのだろう。

わかりやすいことに重きがおかれる現代社会で、忘れ去ってはいけない大切さを取り戻せたような気がした。

時間の尽くす限りいろんな世界を見ておきたいと思った。

心を動かす体験を。

人生を豊かにするために。

関連記事

  1. 食品ロスのジレンマ

  2. 表現とは

  3. 悔しかった思い出

  4. 数値化できない情熱

  5. 社会はまるで生きもののよう

  6. 美味しければいい