そうせざるをえない者たち

多様性やダイバーシティなんて言葉をよく聞くようになったけど、どれくらいの人が本当の意味を理解しているのだろう。
当たり前のように生まれも育ちも違ういろんな人がいて、いろんな考えがあると頭ではわかっていても人と人は時にぶつかり合う。
正解はないし正義もひとつではないし、道徳や倫理観は時代ごとの社会のあり方で常に変化し続けるもの。
人はどこまでいっても論理より感情が優先するので、違う意見を認め合い受け入れることは、そう簡単にできるものでもないと思う。

昭和生まれの代表として、自分の記憶を辿っても昔は相手を受け入れる余裕なんてなかったし、違う意見に攻撃的な対応をしていたことが今考えると恥ずかしい限り。
どこか荒々しく殺伐としていた時代も当時はその世界が常識の範疇だった。
過激な発言も今ではコンプライアンスとかなんとかで過剰に守られ、何も言えなくなった人たちはさぞかし肩身の狭い思いをしているのかなあ。
きっと今の常識も未来から見れば陳腐なものに見えるのだろう。
多様性だって数年もすれば古い考え方になるのだろう。
昔はダサい、という構造そのものは普遍的なものかもしれない。

これからの時代は特にそんな常識の枠組みから一歩引いて物事を見ることが大切になってくるとい思う。
意識して世界を観察しないと、人間の性質として周りの環境に慣れて思考が固まってしまうので違う意見を受け入れづらくなってしまう。
今の当たり前は自分が作った幻想に過ぎない。
AI技術の進化も目覚ましく、シンギュラリティの時期も早まっていて、新しい情報が加速度的に更新されていて、いよいよ追いかけるのも大変だという印象でいる。

ありのままの自分でいい、という社会の受け入れが進んでいるのはとてもいいことだ。
苦手なことを無理してやらない、自分の得意だけを集中して伸ばせる環境も整いつつある。
どうしたってやりたいことしかできない人がいることをもっと知ってほしいと思う。
その理解は多様性という概念を超えているような気がする。

*何か考えてほしいテーマがあれば気軽にお声がけください。
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