参考にすることの是非

料理人であるならば他のお店に食べに行ったりして、その味や盛り付けを参考にすることは正しいことなのかは未だに疑問が付きまとう。

実際に若かりし頃はあまり食べ歩きはしなかった方だ。

経済的な理由もあったけれど、他を参考にすることで少なからず影響を受けてしまうから自分らしさを失ってしまうような気がした。

学ぶことはもちろん大事だけど、学びすぎても誰かの真似事になってしまう。

これは料理だけに限らなくて芸術要素が強い職種において、その線引きがとてもむずかしいと思う。

仕事のアウトプットが作品と呼ばれるものならば、その人であることの意味がとても重要だから。

だれが作っているのか、どんな世界観なのか、どのようなものの見方をしているのか、が作品を通して評価を問われることになる。

まっさらなオリジナルというのもまたむずかしい。

世の中のすべての作品は既存のアイデアの組み合わせにすぎないとも言われている。

独学と言えば聞こえはいいけど、少なからず人間は今まで見たものや感じたものの影響を受けているので、その言葉の定義もきわめて曖昧なもの。

既存の知識にどれだけ自分の感性を混ぜ合わせていくか。

参考という音量を調整するような“つまみ”にゼロはなく、誰もがどこか強弱のバランスを保つようにチューニングしているのだろう。

料理で言えば、同じ参考にするのでもレシピを見るのと実際にお店に食べにいくのでは得られるものがぜんぜん違う。

コストがかかっているからその分を回収しようという心理的なバイアスもあるだろうけど、身体を伴う経験の方が圧倒的に学びを深くする。

大人になり食べ歩きをするようになって吸収できる学びが多いことを知った。

とはいえ何を意識して何を見るかにもよるだろう。

ネット時代だからこそよりリアルな体験や参考に価値があるのではないか。

参考とは手がかりのこと。

手がかりはきっかけの種まきだ。

自分の信念を確立させた上で、その種をたくさん蒔いておくにこしたことはない。

関連記事

  1. そもそもみんな違う

  2. 自分にできること

  3. 必然的デジタルシフト

  4. 作り手の心意気

  5. 気分は自分の期待次第

  6. 思い込みのズレ