シンプルの価値

料理のおいても王道のメニューというのは長らく定着している。

何が食べたいかを想起するときに浮かんでくるメニュー。

それは大体において、オムライスや牛丼など専門店が存在する料理か、麻婆豆腐や青椒肉絲などレトルトで販売されているような料理だ。

白身魚のパイ包み焼き、みたいなのは想起されない。

多くの人に愛されてる料理はやっぱり強い。

この先もう新しい定番料理は出てこないのではと思ってしまうくらいに。

でもそれだけみんなに美味しいと認められたのだから、思い浮かべただけでもやっぱりどれも美味しい。

翻って、本当はシンプルな定番料理が最高に美味しいのに、商業的に注目を浴びようとすると装飾を纏うようになってくる。

アレンジをきかせ、工夫をして、新しいフレーバーを足そうとする。

いい感じの写真を撮り、いい感じの言葉(ふわふわ、とろとろ、などを使うと脳科学的に美味しさが増すらしい)を並べ、出来上がる料理は余分な衣が付いている。

足していいのは、かけうどんに天ぷらくらいがちょうどいいのではないか。

いい食材は焼いて塩をふるだけでじゅうぶんに美味しい。

アレンジをしないとお客さんに振り向いてもらえないという力学は自分でお店をしていてもよくわかる。

実際にアイデアや考えはそちら側に向かっている。

こうしたらもっとおもしろくなる、こうしたらもっと美味しくなる、と。

余分な情報が多くなった今、最近はシンプルな料理が心に染みる。

もしかしたらそのような原点回帰のような流れがあるのかもしれないと思ったりもする。

でもシンプルな料理は表現がむずかしい。

食材の目利きや技術力、作り手の思想性までもが問われる。

まだ味を足してる方がその辺を誤魔化せる。

シンプルな料理の価値に気づいてもらえるような商売はできないだろうか。

かといって美味しい要素は味だけでなく、関係性や環境にも影響を受けている。

本当の美味しさってなんだろう。

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