どうしようもなさについて

はじめての韓国文学は社会や人間の在り方がリアルに描かれていた。

急速な経済発展を遂げた国は、いいところばかりが注目される反面で、恵まれない人たちがたくさんいることもいろんなエンタメを通して知ってはいたけど、小説で表現される描写はより響くものがある。

男尊女卑、そんな熟語があるくらいその扱いの違いは、今の価値観からしてみると目を疑いたくなるような言動ばかりだった。

フィクションとはいえ、小説は著者が言いたいことを言える唯一の場所、その主張はひとつの世界観だ。

人権という概念が生まれてから個人の権利はどんどん加速しているように思う。

女性の社会に対する台頭はめざましい。

このまま進めば男女の立場が逆転するのではという気さえしてくる。

不遇な扱いを受けてきた女性の気持ちもわかるけど、男性もそれなりにがんばってきたわけで、昨今のフェミニズムに対して一概に賛成だとは言えない立場でいたい。

比べる事象のレイヤーが違っていて、お互いが納得できる着地点は見つからないないのではと思っていたりする。

むしろ互いに足りない部分を補い合い、尊重し、役割分担できるに越したことはない。

仕事が好きな人もいるし、家事が好きな人もいる。

社交的な人もいれば、内向的な人もいる。

男だからこうとか女だからこうあるべきとか決めつけてしまうから、そこに縛られて苦しくなってしまう。

それぞれの得意を持ち寄り、折り合いをつけて、ちょうどいいバランスが見つかれば、男女の組み合わせは相乗効果が生まれる、というのが自分の意見としてある。

とはいえ一昔前は、自分の意思とは裏腹に選択の自由すらないような社会であったことも間違いない。

そのどうしようもなさの中で生きるのは、ひどく辛いものであったことを想像して忘れてはいけないと思う。

自分が女性で、その時代に生まれていたならば耐えられないような境遇だっただろう。

時代はよくなっている一方で、完全には掬えない見落とすものも出てくる。

そんなことに配慮をしつつ、自分にできることを考えていきたいと思った。

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