ハイクオリティな社会につき

日本は特に、電車は時間通りに来るし、信号はきちんと守り、街は清潔だし、みんな揃って決められたルールをしっかりと守っている。

時代性でもあるけれど、その規則正しさは世界の中でもトップレベルだと言う。

ひと昔前はもっと雑多で、ホームレスもよく見かけたし、タバコのポイ捨てもゴミもその辺に落ちていたし、空気も汚く、酔っ払いが喧嘩をしている光景さえ当たり前の日常だった。

みんなで同じルールを共有することが果たして社会善なのだろうか。

そんな問題提起は社会のいろんな側面を見せてくれる。

決まりごとが多いということは、やるべきことが多いということ。

海外の人は、日本の公共の場に禁止命題が多いことにびっくりするそう。

何々をしてはいけない、などの警告文は都市部に近いほど確かによく見かける。

規則正しく行動してもらうため、ルールを守ってもらうため。

街は情報で溢れている。

たしかに秩序立った社会になることはいいことかもしれないけれど、みんながみんなそのやることの多さについていけるとは思えない。

人にはそれぞれキャパシティもあるし、表には見えてないだけで適応できない人もいるはず。

そんな現実が逆に生きづらい世の中を作っているとも言える。

健康でないといけない、清潔でないといけない、道徳的でないといけない。

社会が突きつける思い込みは、ある意味で思い込みでしかないと思う。

ただそれらに倣わないと世の中でうまくやっていけないし、はみ出しもの扱いにされてしまう。

快適で過ごしやすくて、豊かで自由になったことに関しては何の不満もないし、とても恩恵を受けているけど、逆説的に生み出される不自由さも確かにあると思えた。

どんどんと生活の質が上がり、処世術の質も上がっていく、同じルールを守るどこまでも一律で機械的な人間のアイデンティティはこの先どうなっていくのだろう。

みんなと同じには染まりたくないとは思いながらも、健康を意識したり、清潔を意識したり、道徳を意識したりしてる自分がいる。

みんな等しく社会の現代版OSが否応なくインストールされている。

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