だれかに何かを伝えたいだとか、下の世代に継承したいという気持ちはどこから生まれてくるのだろうとずっと考えていた。
先天的なものなのか、後天的なものなのか。
自分が経験した大切なこと、教訓にしたいことは言いたくなる。
こうした方がよくなるよ、と。
それが教育というものだし、そうして過去の歴史から学び人類は進歩してきた。
世のため、人のため、未来をよりよいものにするために。
現代人は知らず知らずのうちに先人からの知恵を受け継いでもいる。
だれに何も伝えなかったらどうなるのだろう。
だとしたら文明は今みたいに進んでいないのかもしれない。
時代は個人が自由に発信できるようになった。
みんながみんな振り向いてほしくて各々に自分の意見を主張している。
こうした方がよくなるよ、と。
そんな情報量の多さが人を困惑させる。
物事は飽和すると価値が下がってしまう。
自分にとって本当にいいこととはなんだろう。
周りの目に行動を左右されていないだろうか。
翻って、自分自身もいろんな活動を通して意見を主張している。
こうした方がよくなるよ、と。
知ってほしいという気持ちは、おせっかいなのか、それとも幸せを与えているのか。
だれかに何かを伝えなくても生きていけるし、だれも困らない。
それに自己犠牲を伴ってまで、世のため人のためと主張するのはなんか違う。
先に半径数メートルの身近な人たちを幸せにすることを優先しないといけない。
そのためにもまずはだれよりも自分が幸せにならないといけない。