第三者の視点

人は忙しくなるとどうしても局所的な視点になり周りが見えなくなってしまう。

たとえは悪いけど戦争がいい例だ。

今を生き抜くことに必死で文化的なことに興じてる場合ではなくなる。

こうして映画や本を楽しめるのもある程度世界が平和で豊かなな証拠。

広い視点を持つためには、時間、お金、心に余裕が必要になってくる。

とはいえ余裕があったとしても人は時に盲目になってしまうもの。

人間関係のもつれ、夫婦・恋愛関係のいざこざ、自分自身の力量の見誤り。

どこまでも自分で見る視点は、少なからず自分にとって得になることだけを選んでいる。

人と人の関係性においても義理や情けが混じってしまうと冷静な判断ができなくなってしまう。

確執や不信があれば関係性は悪い方向へもはたらいてしまう。

客観的な視点で物事を見る。

これは簡単なようでとてもむずかしいことだと思う。

この度、ご縁があって宝塚市の取り組みでデザイン会社からのヒアリングを受けている。

数回のセッションでお店、または自分が何を目的として、どこに向かって進んでいるのかを明確にさせるというようなもの。

普段から自分の考えていることを言語化してアウトプットしてるものの、第三者から見た自分はまた見え方が違っていて新鮮な気持ちになれる。

きっと立場は遠ければ遠い方がいい。

答えに窮するまでなぜを繰り返し問われ、自分が本当に大切にしているものを探っていく作業だ。

なぜお店をしているのか、お店を通して何を表現したいのか、自分にとって料理とは、言葉とは、人生とは。

知らない自分を引き出されることが、むず痒くもあるけれど新しい発見があっておもしろい。

さて、どこに着地するのか。

今とはぜんぜん違う道を歩んでいるかもしれない。

それはそれで楽しみだ。

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