人生は選択の連続。
どんな服を着ようか、どんな仕事をしようか、だれと関わるか。
選べること、その自由。
今の時代は選択肢がたくさんある。
多すぎて困ることもあるけれど、選べる範囲が広く、知っている量が多いと、生きやすいような気がする。
センスの領域もきっと何を選ぶかによって決まってくる。
その場面に最も適した選択をすることは論理的でもあるけれど、美的感覚も大事だと思う。
感性が選んでいること。
それは過去の経験が選んでいることでもあり、無意識が選んでいることでもある。
料理も選択の上に成り立っている。
どんな食材を使って、どんな味付けをして、何と何を組み合わせるか。
ある意味でパズルのようであり、積み上がっていく建築のようでもある。
料理においても引き出しの多さやレパートリーといった知識が必要であり、美味しさを表現するという美的感覚は欠かせない。
何を選んで、何を食べて、何を思ったか。
感動の総量はきっといい料理を作ることに値する。
ひらめきやアイデアはふとした時に降りてくる。
言葉だってそう。
書くことにしても、話すことにしても、次にどんな言葉を持ってきたらいいかを選択している。
そういうことをみんな自然に行っている。
ユーモアを語ることも、センスのいい文章を綴ることも、表現という作業は自らの内側からくる選択の結果が形となって見えている。
だから、いいものを表現するには選択肢を増やすことが大事だと思う。
いいもの表現することが人生でもないのだけど。