幸福と聞けばなんとなく仰々しいけれど、今も昔も人間にとっての幸福は人生の目的に値する普遍的な概念だろう。
絶対的な幸福が存在しないのは当然のこととして、人それぞれに幸せを感じる瞬間や価値観はみんな違う。
だけどわかりやすいものに流されるのもまた人間社会の宿命であるような気がする。
権力や名声があること、肩書きや影響力、お金、家の大きさ、車のグレード、どれもわかりやすく数字で表現できるものだ。
インターネット社会は特に数値化を助長している。
幸福をつくる要素として誰にも支配されず自由であることや選択肢の多いことは重要であり、それをお金が補ってくれることは確かだけれど、お金の多寡によって幸福度が決まるとは思えない。
美味しいごはんを食べるとき、がんばった後の結果なり開放感、誰かと同じ気持ちを分かち合えたとき、期待値の差異や喜びの共有によっても幸福を感じることができるから。
幸福は相対的なものであり、進歩主義的で一方通行な指標では表せない。
すでに普段の生活の中にあるもので、気づくか気づかないかは結局自分の視点次第なのだと思う。
文明の変化がいろいろと惑わせてくるけれど、人間が幸福でいれる基本姿勢は昔からそう変わらないことを教えてくれる。
健康でいること、挨拶をすること、感謝をすること、そんなあたりまえを人はどうしても忘れがちになってしまう。
それくらい現代はたくさんの情報を浴びて、時間に追われ、忙しい社会になっているのは間違いない。
比べることから逃れられないほど人も密集している。
手元の通知が何かを急かしてくる。
本当に大切なことはすぐそばにあるはずなのに。
見ようとすれば見えるはずなのに。