傷は物語によって癒やされる

失敗や間違いの定義はなんだろう。

おそらく時間軸の問題であるような気がする。

瞬間だけを切り取れば失敗な結果も、長い目で見るとその経験が次に活かされてたりするもの。

むしろ失敗しないことには成長しないのでは、と思えるほどに。

そしてその間を埋めてくれれるのは、どう意味付けするかの物語であり事実の解釈次第と言っても過言ではない。

先日のフードロスについての投稿は、予想以上にたくさんの人が目を通してくれた。

その先の効果はわからないけれど、飲食業界の現場を知ってもらえたことが何よりの収穫だったように思う。

瞬間だけを切り取ればフードロスは何も生み出していないし、むしろ赤字だったけれど、その出来事があった“おかげ”で、問題意識を認識してもらえたし、新しい気づきを得たし、次は作り過ぎないようにしようという教訓を得ることができた。

その時は辛かったけれど、結果的によかったと“思える”ことができた。

長い目で見ると基本的にはなんでもポジティブに捉えられる。

人が未来の方向性を決めるのに、過去の出来事の失敗や間違いが大きく影響している。

悲しみや苦しみ、心の傷なども同じように言えるだろう。

失恋がわかりやすいかもしれない。

傷ついて、傷ついて、次からはこうしようと思える。

そうして駄目な方の選択肢を知り、次からはそれを選ばないという選択ができるようになる。

その間に存在するのは紛れもなく物語であり解釈だ。

でも意図的に傷を負うことはできない。

計画的に失敗をすることはできない。

本気で取り組んで、本気で失敗をしないことには教訓を得られない。

長い人生の出来事をどう意味付けして、どう解釈を与えるか。

物語を作れることが人間ならでは能力であるし、物語があるからこそ幸福にもなれるのだから、長い目で見て悠然と構えていたら救われる、と自分に言い聞かせる。

人生の脚本を作るのは自分次第だと。

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