アドバイスができない

お節介や余計なお世話が今や死語となりつつあるような気がする。

こうした方がいいとか、ああした方がいいとか、昔は年長者からよくアドバイスをされていた。

それでまかり通っていたのは時代の価値観に大きな変化がなかったから。

安定で手堅いお給料の仕事に就きなさいとどれだけ言われただろう。

それもこの社会システムを生き抜く上でとても大事なことだけど、今この時代は自分が納得のいく人生を送ることが風潮としてある。

あくまでも価値観なんてものは時代のトレンドであり流れであり正解はない。

それに子供に薦める進路は親のエゴも少なからず混ざっている。

多様性とはまさにそれぞれで異なる価値観を許容しようということで、自分とは違う価値観の人を認めることから始まる。

言葉では理解できても長く同じ場所に住み、長く同じコミュニティに属していると意外と体感では分かりずらいと思う。

自分とは違う価値観に触れる機会、それが旅をすることや海外の異文化を知ることの重要性だろう。

誰かに何かをアドバイスする時、多様性への理解と、時代を俯瞰して見れているとより本質的にできる。

仕事のおけるタスクだと説明や指導は最低限必要だけど、こと人生観や恋愛観においては自分の成功体験を押し付けるのは思い込みでしかない。

特に結婚を勧めてくる人は、将来離婚するかもしれないのによく人にアドバイスできるものだ。

本当にいいアドバイスをしようと思ったら、相手のパーソナルな情報を知って、ある程度の関係性を築いておくのがベストだと思われる。

相手の性格、特性、できることできないこと、広い知識や教養も必要になってくる。

ただお節介や余計なお世話は、共同体を作る生きものとしてうまく作用してる部分もあることは確かで、何も言えなくなるとより個人主義が加速してしまう。

自己責任論ばかりでも頼るところがなく生きづらいのが今の社会問題でもある。

ほどよい距離感でつながれる共同体が望ましいのだけど、人が好きでもあり苦手でもあるものにとってはなかなか由々しき課題だ。

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