都会にいると今やコンビニを探すのに苦労しない。
基本的にあまり利用することがないので、たまに行くことがあると新しい発見があっておもしろい。
銀行のATM、各種支払い、チケット、荷物の発送や受け取り、たまに野菜が売ってたり。
だいたいにおいてサービスが行き届いてることにほとほと感心する。
その名の通り“便利”を売りにしたリアル店舗に、近隣の人は特に重宝するだろう。
少し田舎の方に行けば、スーパーの代わりとして利用してる人もいるくらい。
人々のライフラインとして多大に貢献している側面もある。
ただその一方で、商品を眺めてみると特に食事の面において、にぎやかな情報ばかりなのが気になってしまう。
カラフルでキャッチーでどの商品も手に取ってほしいと懇願しているようだ。
その上、レトルトや冷凍食品はいかにも添加物が多そうな、見た目にも美味しくなさそうなのが所狭しと並んでいる。
人の行動を観察するのが趣味なので、どんな人が何を買っていくのかをついつい見てしまう。
朝にお昼ごはん用を買っていくのかなと思ったり、体格のいい男性なのにカップ麺で足りるのかなと思ったり、いつもの生活動線にあるなら食べるものに飽きないのかな、と思ったり。
コンビニ側も常に新商品を開発していて、そのサイクルはきっととどまることを知らない。
そうして欲を刺激しているわりに、ラインナップが定番商品へ収斂してることが不思議と滑稽でもある。
社会背景として単身世帯が増えて、共働きが増えて、料理を作る時間がなくて、簡易的な食事が増えて、身体にとってもきっとよくないであろうものを食べる、という流れを“仕方ない”と片付けて本当にいいのだろうか。
そんな心配をするのは食に従事しているからかもしれないけれど、栄養面においても、金銭面(高くつく)においても、便利さを得るよりも失う代償の方が大きい気がしてならない。
人はどこまでも楽をしたい生きものなので、目先の得を選んでしまいがちだけど、長い目で見て病気のリスクが高まることを考えると、将来の医療費はもっと高くつくと予想される。
飽食の時代に食べ過ぎだとも言われてるのだから、理性をはたらかせて自分をコントロールするくらいの判断力を消費サイクルに巻き込まれてしまうのは、やっぱりおかしいと声を上げたくなる。
悪循環はどんどん加速していく。
失ってはじめて気づくことも、仕事や恋愛ならまだしも健康においては後からでは遅いのだ。