心地いい時間の確保

現代人は時短になったにもかかわらずみんな忙しそう。

手軽に映画やドラマなどのコンテンツを楽しめて、SNSの普及でコミュニケーションコストも下がった。

ある意味、豊かで治安もよくて日本がヤバいと言いながらもそれなりに平和で史上最高にいい時代だと思う。

その反面で情報が飛び交い、処理しないといけないタスクが増えて、さらに刺激を与えられ、欲望をかきたてられる。

頼れるものへの頼りなさに自己責任を押し付けられ、ますます高度で難易度の高い社会になっていることも確かだと思う。

ふと我に返り、いっときはあれもこれもおもしろそうだからと情報を(それでも最低限の)摂取していたけれど、身についた実感がないほど記憶に定着していないように感じる。

カメラロールにも写真がいっぱいあるけれど、見返してみるとそんなに重要でない思い出や思いつきがたくさん保存されている。 

人との待ち合わせも、写真が現像されるまでも、漫画や映画やドラマを待ち焦がれるような、いっさいの楽しみが気軽に早く手に入るようになった今、その希少性はどんどんと薄らいでいく。

出来事に価値を感じなくなり、記憶にも残らなくなり、短期的にドーパミンが出るような刺激を求めていった先に何が残るのだろう。

なんとなく理性をもって時代の波に少しばかり抗う姿勢を持っていないと、空っぽな人間になってしまいそうな気がする。

人の行動心理を巧みに操ってくるビッグデータは本能をハックしてくる。

便利と共にやってくる忙しさに巻き込まれるのはやっぱりおかしい。

料理を丁寧に作れるほどに、ゆっくりと文学と向き合えるほどには、時間を確保しておきたいもの。

人によって自分の心地よさは違うけれど、なんの生産性もない、なんの意味もない時間も大事なのではと近頃感じるようになった。

たとえ気の乗らないストレスフルな時間があったとしても、心地いい時間さえ確保できていれば自分らしさを、自分の理性をなんとか保っておける。

関連記事

  1. はじめてを振り返って

  2. 手間ひまの意味合い

  3. 私にとっての哲学

  4. 息をするように

  5. 手ざわり感

  6. ブランドという意識