いろんな試行錯誤を経てようやくまとまってきた職業としての料理。
業界の構造の問題に目を向けてみたり、継承していきたいことを考えてみたりと、料理にまつわるあれこれへの興味は尽きないのだけれど、生業としての根幹には料理を作って表現している自分がいる。
それも25年以上という長い期間において携わっている。
その事実に、その現実に、その経験に、あらためて気づいたような感覚がした。
自己評価というよりも、他者評価からの視点で実感がわいてきた。
自分が何をやりたいか、ではなく、相手が求めていることを叶える。
まがいなりにも手を動かし続けてきた料理への感性は、、時間性を帯びて簡単に誰かが真似できることではないという自負がある。
自分で言うのも照れくさいけれど、味よりも盛り付けの評価をいただくことが多い。
とはいえ盛り付けも感覚でやってる部分が大きいので、今まで特に意識はしていなかったけれど、もしかして盛り付けの評判は自分の得意領域なのではないかと思えてきた。
美意識やセンスは常に気にしてきたけど、あらためて意識して言語化できるようになると、もっと料理に、その仕事に付加価値をつけれるかもしれない。
料理においての美しさについて深く考えてみようと思えた。
美しさはなにも盛り付けだけじゃない。
お客様からは見えない部分の美しさ、作業や管理や私生活にいたるまで、丁寧さや細やかな配慮も含まれるだろう。
味においても美しいという言葉は適応できそうだ。
美しい料理、美しい表現、美しい関係、美しい人生。
曖昧でつかみどころのない言葉だけれど、月や星を美しいと思ったり、朝日や夕日を美しいと思ったり、海や地平線に何かを想う気持ちは、誰から教わったでもなく万人に共通する美的感覚だろう。
本質的な美しさはきっとみんなが共感してくれる。
それが何かをこれから探っていこう。