がんばる精神性

クリスマスの時期はいつも激務になる。

忙しいと他のことが手につかなくなるし、心の余裕もなくなるので、あらためて忙しさは視野が狭くなるなあと感じた。

まだまだ前時代的な働き方で成り立っている飲食店なんてザラにあると思う。

イベントなど局所的な忙しさは、その時々においてがんばればなんとかはなるもの。

ごはんを食べる時間がない、寝る時間もない、は少し前なら美徳だったけれど、今自慢げに語ってもあんまりかっこいいとも思わない。

だからといって料理の生産性を上げるのは、人の手で作ってる以上そう簡単に改善されない。

かろうじて工夫できるのはメニュー構成と段取りだろうか。

 

お客様に注文いただけることはとても有り難いこと。

こうして中途半端な営業スタイルにもかかわらず、自分の料理を選んでくださることにとても感謝している。

むしろそれだけに今まで以上に感慨深いものがある。

それはお客様も一般的な形に囚われていないということだから。

量が多いならもっと限りなく効率化すればいいのだろうけれど、いつも期待に応えようとついついがんばってしまう。

どこまでも前時代的な働き方でしか乗り越えられない自分がいる。

自己犠牲で成り立つ仕組みは果たして善なのだろうか。

 

がんばるという言葉はとても日本人らしい。

気合いで乗り切るとか、根性論とか、なんとかなるとか、そこに綿密なロジックは存在しない。

場当たり的で神風的な勢いは怖くもあるけれど、負けや死とも隣り合わせの精神性だと思う。

言い方を変えれば情熱や真剣さと解釈できるので、それもまた物事を成すには必要だから厄介だ。

でも飲食のここぞというときの体力勝負にはいつまでも続けれない感があったりする。

世の中の風潮や時代の流れは確実に働きやすさに向かっている影響なのか、繁忙期とはいえけっこう無理をしているなあと思わずにはいられない。

一度がんばるというアクションを精神性ではなくロジカルに捉え直してもいいかもしれない。

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