向こう側にだれかがいるだけで

アウトプットが大事なんて言われるけれど、考えていることを言語化するには言葉の種類を知ってないといけないのでインプットも欠かせない。
身体に代謝が必要なように、脳にも代謝が必要だと切に思う。
こうして書くことで随分と頭が整理されている。
昨日何を書いたかなんてほとんど覚えていない。
きっと覚えていることが大事なのではなくて、アウトプットをして余白をつくることに意味がある。
それに今日は何を書こうかと常にアンテナを張っているのでインプットの意識も高まり、日常の観察力や洞察力が自然と磨かれていく。
書くのが苦手な人は話せばいいと思う。
とにかく循環させることが生命の原理原則的にも理にかなっている。

そんな議論はよく交わされているので周知の事実かもしれないけど、踏み込んで考えてみるならば、書くことも話すこともアウトプットの先にだれか人のいることが重要だと思う。
日記を書いていたこともあったけど、ネット上に文章を書く方が脳はクリアになった。
たとえ読んでくれる人、聞いてくれる人が特定のだれかではなくても。
だれかが見ているかもしれないという意識がアウトプットの精度を高めてくれる。
特定の人ならもっといい。
フィードバックを返してくれるなら尚更いい。

でも自分の話ばかりもしてられない。
発信が気軽になったとはいえ時には相手の話を聞いた方がいい。
むしろ聞き上手こそがまだ見ぬ本当の自分を引き出してくれたりするから。
ほとんどの人は自分の話をしたがる。
親身に話を聞ける人が増えれば世の中は少し穏やかになるかもしれない。
だれか聞いてくれる人がいると思えるだけでも救われることがあるかもしれない。

関連記事

  1. 共感するための口実

  2. 出張料理レポート

  3. 片隅にある記憶

  4. どうしようもなさについて

  5. 否が応でも変わっていく

  6. おせっかいの出番