生かされている

この季節、公園にはたくさんの人が溢れている。

太陽の光や気温次第で、人は気持ちよくなれるのだから

つくづく自然に生かされてるのだと感じてしまう。

この時期、多くの人が節目を迎えるタイミングで、

何かが終わったり、何かが始まったり、見直したり

そわそわとした雰囲気が漂っている。

例に漏れず自分のお店も自分自身も、

新しく始まっていくことに、まだまだ不安はたくさんで

手探りながらも少しでも前に進むために、

半ば強制的に締め切りを設け、予定を作り

追い込むように奮い立たせている。

そうでもしないとダラダラと過ごしてしまう。

その意味で、この季節は空気を入れかえるきっかけになり

心の整理ができるいい機会になる。

暦の上の行事も、人生の行事も、何かのイベントが

あることで、人を考え立ち止まらせてくれるから、

つくづく環境にも生かされてるのだと感じてしまう。

世の中が便利で豊かになっていくことで、

人は良くも悪くも安心してしまい、やがてそれが

当たり前となり違和感がなくなっていく。

考えることをしなくなり、エンターテイメントに

興じてばかりいたら、その先の価値観が懸念もされるけど

反対にどうなっていくのだろうと見てみたい気もする。

先人たちが代々抱えてきた悩みや渇きを、

より良い未来へと改善されてきた系譜の上に

生かされていることは否めない。

そして今という渦中に生きているものとして、

生かされてばかりいるだけではなく、

次の世代に何を生かせてあげれるのか、なんて

公園を眺めながら考えてしまうお年頃。

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