健康という概念、養生という考え方

健康は人間にとって当たり前のこと。

そう思っていたけれど意外とその価値観は最近のものだと知った。

たしかに一昔前はタバコにもお酒にも人々は寛容だったように思う。

高齢化社会、長生きする時代、周りに頼れないような環境、年金問題、直面する社会的な背景の数々が健康を推進させているとも言える。

長生きするとお金がかかる、お金が必要だから今から貯蓄をしておく、稼ぐために一生懸命働く、ずっと仕事を続けるためにも健康に気をつかう。

人間のベースにあるのが健康なのは周知の事実ではあるけれど、「何のため」なのかが抜け落ちているような気もする。

みんな何のために健康でいようとするのだろう。

最近は食事や運動に対して意識の高い人も増えてきた。

オーガニック食品も今ではよく見かけるようになったし、ジムもあちこちに新しくできている。

サウナや快眠グッズ等も健康に即したビジネスのように、あらゆる商品が身体にいいことを謳っている様子は、なんとなく流行としての健康が存在している。

もちろん健康でいることに越したことはないけれど、何のためが長生きするためや周りに迷惑をかけないために今ストレスを抱えながら無理をして働いているのなら、人生が空虚なものに思えなくもない。

健康より前には養生という考え方が一般的だったそう。

養生とは東洋医学からくる言葉で健康の意味とさして違いはないのだけれど、もっと概念的に「生きている間に何を為すのか」、より良く生きるためには何に気をつけなければならないのかを食・身体・心に分類して考えていた。

自分なりに解釈を与えるなら、健康という概念は時間の長さや量に焦点を当てているのに対して、養生という概念はどう生を全うするのか、質的な人生に重心がのっている。

単純に長生きすることだけが正解だとは思えない。

100歳以上の人に対して憧れを持つ人も少ないように思う。

いかにより良く生きるのか。

たとえ早死にしたとしても、その人生の質が幸福で満たされているならば、それは周りからも称賛されるべき最高の人生ではないだろうか。

そう考えたとき、そんな人生を送るのに健康が前提だとは思えない。

自分の人生は自分だけが幸福であることに越したことはないけれど、社会に対して、未来に対して、いい影響を与えられるならそちらの方がもっと良い人生であるように思う。

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