メタファーとしての発酵

人の記憶のメモリーはそんなに多くはない。

昨日何を食べたか、読み終わった本の内容も、誰かと交わした会話の詳細も、何気ない毎日の出来事を明確に覚えてる人はきっと少ないだろう。

それらに費やした時間を考えると勿体無いような気もするけど、ある時ふと大事なことを思い出すように意識の表面に現れるとき不思議な気持ちになる。

どんな出来事も無駄ではないという考え方は、無意識という領域がフォローしてくれているからかもしれない。

食品において発酵とは、環境が整うことで見えない微生物が新しい旨みをもたらしてくれるというもの。

温度や湿度という指標以外にも時間が大きな因子になっている。

早過ぎても遅過ぎても良くない、ちょうどいいところがある。

一番美味しいタイミングで最大のパフォーマンスを発揮する。

無意識下で整理される思考も、発酵のメカニズムとそう変わりない。

早くもなく遅くもなく、ふとした時のあるタイミングでいいアイデアが生まれるように。

この発酵というメタファーは、食品やアイデア出しだけに限らず普遍的な社会善にも共通しているような気がする。

人間関係や人生設計、ネガティブケーパビリティなど、人が社会の中でよりよく生きていくための考え方として持っていた方がよさそうだ。

答えを焦らないこと。

いいタイミングが訪れるまで待つこと。

考え過ぎないこと。

心理的にも物理的にも一定の距離をおくこと。

作為や意図を混ぜないこと。

本当の美味しさはほっといても自然に作られていく。

関連記事

  1. ぼんやりと不確かさの中で

  2. いそがしすぎる

  3. 見えない影響

  4. 声の温度

  5. 変わっていく食事の在り方

  6. 今できること