表現するということは何かを誰かに伝えたいということ。
料理であったり文章であったり、歌やアートなどの表現物
には何かしら表現者の想いが込められている。
一見するとみんながみんな表現者でもなさそうだけど、
個人的には人間なら誰しも本当は表現したいことがあるん
じゃないかと思っていたりする。
その方法が見つかってないだけで。
SNSでも利用者の9割が発信せずに見るだけの人らしい。
だから基本的には表現者か表現者でないかの2パターンの
人間に分かれるような気がする。
これは個人的見解だけど、
表現者が表現をする動機は深く掘ると、渇きや不安や失意
といった、負の感情に行き当たると思っている。
それは生まれながらにしての環境であったり、
不意に起こった悲しい出来事であったりといった、
それらには熱量のこもった強いエネルギーが生まれる。
今よりもっとよくなりたいという向上心や、
自然災害を経験して今のままではだめだと思ったり、
誰かを亡くしたことで考え方が変わったりだとか、
コロナと向き合っていくために何ができるんだろうとか、
環境問題も危ない、世界情勢もどうなるかわからない。
いずれも負の出来事がきっかけとなって人は変わり、
何かを伝えるために、何かを届けたいために、
何かしらの形で表現したいと思うのではないのか。
そんな風に考えるわけです。
人間の根源的な欲求としてうずめく想いは誰しもに
宿っているものではないのかなと。
見つかるか見つけるかどうかだけの問題で。
料理なのか文章なのか、または自分にとってもっと適切な
別の表現方法があるのかもしれない。