例えばビジネス書をたくさん読んでいたとしても、
その知識を実践に活かせてないと意味があるとは言えない。
読書は娯楽の面もあるので絶対ではないけれど。
資格の級や点数などで数値化できるような技術やスキルと
ういのは、ある程度の基準にはなるけどやっぱり最終的に
センスが大事だよなって思う。
清潔感があることはただ清潔にしていて身につくものでは
ないし、モテることはこれをしたら絶対にモテるという
正解はないはず。
どこまでいっても人間の感覚的なところを言語化するのは
とてもむずかしい。
言葉にする行為は枠組みを決めてしまうことだから、
人によって解釈や偏りがどうしても生まれる。
もしかしたらそれが争いを生む大きな要素かもしれない。
そもそも枠を作って分けてしまうことがナンセンスなのだ。
本来の感覚や感情はグレーでグラデーションのようなもの。
言葉で分けて、性格で分けて、人種で分けて、国で分けて。
でも言葉が生まれたのは自分の思いを相手にわかりやすく
伝えるため。
言葉があることで人類が進化してきたとも言えるのだから。
何かがよければ何かよくないことがある。
そんなトレードオフの関係の中で均衡を保っていることが
平和ということなのか。
そう考えると言葉と言葉でないものの間にあるものをうま
く捉えることがセンスがあるということかもしれない。
ものさしでははかれないものを見つけることが、これから
の時代の生きやすさにつながっていくのでは。
脈絡がよくわかりませんがふとそう思ったのでした。
