感謝との出会いなおし

お金のむこうに人がいる。
とても当たり前のことに普段はなかなか気づけない。
商品を作るために、サービスを受けるために働いている人がいることを。
お金は数値化ができる。
数字というのは指標としてとてもわかりやすいけれど、危険な側面とも隣り合わせにある。
値段の高いものがいいものとは言い切れない。
価値は人それぞれに尺度があって、本来は自分自身が決めること。
その効力こそが幸せと密接に関係がある。
シャンパンよりビール、フォアグラより納豆、何を幸せに感じるかは自分の心が決めていい。
でも多くの人が数字であらわせれる価値に惑わされているように思う。
メディアやSNSの影響、住んでる地域の環境、知らず知らずのうちにお金のむこうに人がいることを忘れてしまう。
都会ならなおさら、ものだけでなくいろんなサービスがお金で買える。
極論、人と人の間にある関係性をお金というツールで簡略化していると言える。
その方が楽だから。
ぼく自身わりと都会で育ってきたのもあって、田舎の自然には憧れるけど濃すぎる関係性も時に面倒くさそうと思ってしまう。
偏見かもしれないけど。

数字ばかりに着目してしまうと目的と手段が入れ替わってしまうことも。
売上、収入、フォロワー数を上げるための活動になっていないか。
抽象度を上げるなら、本当の目的はみんなお客様の幸せを願っていておかしくはない。
それでも資本主義経済である以上、どうしてもお金が中心になってしまう。
そこにインセンティブがないと投資家は株を買わないし、もっとよい未来にしようという動機も生まれないかもしれない。
ある程度仕方のない経済合理性が作用する社会の中で自分は何ができるのか。
経済の仕組みを理解し、お金のむこうに誰かの労働があることを想像することはできる。
それが感謝をするということなのかも。
価格で判断するのではなく、自分にとっての価値を把握しておくことも大事だ。
今の立ち位置を見直すきっかけになった。

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