おせっかいの距離

お節介、世話焼き、余計なお世話、でしゃばり。
似たような言い回しはネガティブな意味で使われることが多かったりする。
厄介なのはお節介をしている側に悪気がないこと。
あなたのため、放っておけない、助けてあげたい。
決まってそんな気持ちで接しているはず。
受け手からしてみれば、恩着せがましかったり、世界観の押し付けであったり迷惑の域に達していることで齟齬が生じている。
相手の好意をお節介と認識する人、認識しない人、そもそもの相手と自分の関係性も絡んでくるので、その距離感を測るのはとてもむずかしくて正解のない問題だと思う。
本当の優しさって何だろう。

自分の意見としては、お節介の距離の問題は時代の変化によって個人という概念がより強くなったからだと思えた。
大昔は人間にとって個人という概念すらなく、共同体として助け合って生きていたけど、フランス革命をきっかけに人権は尊重されるべきで個人は自由であるべきだという流れになっていった。
そんな歴史の先にぼくたちは今存在している。
価値観の変化が加速していっているように、昭和と令和の世代では考え方も作法も違うのを日々実感する。
昔の当たり前が今は当たり前じゃない。
お節介の行為が同じでも、時代によって受け取り方が変わっている。
おそらく今なら相手に介在しすぎないことの方が優しい行為だと呼べるのでは。
個人という概念が強くなったことで、自分の周りを取り囲む壁が高くなったような感じ。
孤立しているとも捉えられるし、守られるものとしても捉えられるので、その辺の是非についての判断はむずかしい。
地方に見られるみんなで助け合う共同体の回帰も生まれているけど、個人の性格による向き不向きの問題とも関わってくるので一概にそれが正義だとも思えない。

結局は自分が何を選ぶのか。
選択肢が豊富にある現代社会。
どこが自分にとって居心地のいい場所なのか、まず自分のことをよく知らないといけないし、それがわからないまま相手に押し付けてはいけない。
わからないことをわかっていないことが問題なのだけど。
時代も価値観もこれからもっと早いスピードで変わっていく。
柔軟に、理解を示し、優しくありたいもの。

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