ぼくの料理観(後編)

創作料理の定義はむずかしいけれど、いろんな組み合わせの中で表現していくので、どうしても足し算っぽくなってしまう。
新しい味を探ろうと、自分にしか表現できない料理を作ってやろうと、夢中になって勉強していた。
あの頃のエネルギーを再現することはもうできないけど、ひとつのことに取り組んだ経験はやっぱり心や身体に染み付いている。
忍耐力が身についたことはよかったし、料理の表現として新しい組み合わせを探る思考プロセスは現在の料理観の土台となった。
20代のうちにもっといろんなジャンルのお店で仕事がしたいと、居酒屋を辞めた後は和食やレストランなど転職を繰り返した。

経験を重ねるうちに感じてきたことは、新しい味を作るのはいいけど本来の素材の美味しさを目新しさだけで誤魔化しているんじゃないかということ。
定番に何かを足して創作するより、何も足さない方がシンプルに美味しかったり。
それに定番には定番になりえた理由がある。
多くの人が美味しいと思う味、また食べたいと思える味、定番でいいのなら料理人の価値って何だろう。
そんな風に思っていたような気がする。
もちろん切り方や焼き方などの調理技術としての役割においては、手に職であるメリットはあるけれど、無理をしてまで創作しなくてもいいのではと思えてきた。

それからというものの、いかに足さないか、いかにシンプルな味つけで自分らしさを表現できるかを考えるようになった。
実際に自分が食べる時もシンプルな方が美味しいと思うようになったのは、年齢のせいかもしれないけど。
特別にいい素材でなくてもそこまで悪いものでなければ、焼いて塩をふるだけで十分に美味しく食べれる。
手を加えることは最小限に、その中でいかに自分らしさを表現できるかが、今の料理観に反映されている。

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