ハッピーの本質

人間の欲はどこまでも限りがない。
仮想空間に宇宙開発に、新しいフロンティアを求めて開拓していく。
近い将来にドラえもんができてもおかしくない雰囲気だ。
目まぐるしいほどに世代間の価値観は変わっていき、新しい技術でまた新しいライフスタイルが生まれていく。
どこまでを許容し、どこまでを許容しないか。
経済成長を前提とした便利さは、たとえ大きなリスクがあってもそれを多くの人が受け入れる。
包丁、自動車、原子力、命を殺める危険性がありながら、正しく使えばたくさんの人をハッピーにすることができるというパラドックス。
成長と便利が本当の意味でのハッピーかと問うならば、個人の立場としては違うと言いたいところ。
温泉につかっている時、散歩している時、お客さんと雑談している時、どれもすぐそばにあるハッピーだと思えるから。
それでも包丁、自動車、スマートフォン、便利さの恩恵にあずかっている現状で、それら文明の利器を持たずに暮らすのは、こと日本においてはもはや不可能に近い。
要はバランスであり、何をハッピーとするかは個人が選択できることなので、だれかを咎めることもできない。
ただ自分にとってのハッピーが何かを自分自身で理解してる人は少ないのではと思ったりする。
メディアが作ったライフスタイルをなぞるように消費活動をして、広告にすすめられるまま誘惑され、キャッチコピーに惹きつけられて購入ボタンを押す。
それが他者からどう見られるかのためなら甚だ疑問を感じてしまう。
自分の人生で本当に必要なものってなんでしょう。
そんなことをこの動画を観て思いました。

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